こんなのはじめて。
2009.10.07 (Wed) | Category : Blog
10月23日金曜日、東京の高円寺で
「哲学的で何が悪い~錆びた健全、叫敵の狭間~」
を決行し、
その日より
「黒傘PICNIC」
という1ヶ月間のライブツアーを決行いたします。
インターネット上で文章を書くにあたり、
これまで10月23日@高円寺mission'sのことに多く触れてまいりました。
今日はツアーファイナルである11月27日金曜日に決行の
「純心が健全とは限らない」
のことに、すこしだけ触れてみようと思います。
何かを名付ける時、私は割と直感と感覚で決めてしまうたちでありまして
この「純心が健全とは限らない」というタイトルについても、そうでした。
それはおそらく自分が感覚で生きている人間だということを裏付け得る
なんとも曖昧かつ無責任な証拠であります。
「感覚で生きている」ということに対して「それってどういうこと?」と聞かれたとして
上手に答えられる気がしないのですけども
何かを作る時、数メートル先に完成形に近いもの、そのイメージを置いてから
そこに辿り着くまでの距離を理由や解釈、自分なりの理解、回答で
埋める癖があるような気がします。
それ故、この半年程このタイトルに行き着いた理由をひたすらに考え続けてきました。
純心だとか、煩悩だとか、大人だとか、なんやかんやって。
昨今、数メートル先に置いたタイトルまでの距離を埋めるべきものが
なんだか少しずつ、頭の中で形を持ち始めています。
「差し支えなくして生きられるのか?」
そんな日々の中、こんな疑問が浮かびました。
哲学と呼べる程に立派なものではありませんが
生きることは不足を埋める事なのではないかと常々考えています。
不足を生んで、自ら生んだ不足を埋める
乾いたら湿らす。湿ったら乾かす。とても単調です。単調なのです。
だから自ら波風立てることをどうにも止められずに居るのではないだろうか、と
そんな事を考えています。
退屈が苦手なのです。
何を揺らして行けるだろうか。
揺らした次に何かが変わるかも知れないし、何も変わらないかも知れない。
何も変わらなくてもそれで良い、とも言い切れない。
ただ、楽しいことが増えたら良いと思います。
ぐるんぐるんと思考を巡らす割に、結論はいつでも地味なものです。
どうして今日こんな文章を書き出したか、と言いますと
暗い時間を遣って11月27日のための作業をはじめると
いつも意識が異次元にブッ飛びそうになるのです。
興奮とも落胆とも言い難い、微妙な気分の中
できるだけ冷静になりたいから、こんな事を書いています。
推敲も一応、してみようかな。
しないほうが、いいかな。
こんなのはじめて。
◆2009/11/27(fri)
ワタナベミユキ単独企画
『純心が健全とは限らない 第一夜目』
池袋 STAGE&SPACE 3-tri-(東京都)
18:30open 19:00start
1,500/1,800(+drink)
出演...ワタナベミユキ/ブルースロマン/マリエ/Ruta/mottie
ワタナベミユキ
自分と他人、世間と自意識、そして意味と理由。口にすればちょっと暑苦しくて正直面倒臭いこと、自分以外の誰とも共有が出来ない感情を核にして歌うシンガーソングライター。内向的な歌詞を軽快なリズムに乗せ、歌う女である。
OFFICIAL WEBSITE
http://kasaiharu.web.fc2.com/
メルトダウン/ワタナベミユキ
(2010/01/13Live@仙台enn)
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